▽その帯だれを結びても


 ハヤト君は浴衣の着付けがとても上手だ。

「出来たぞ」

 浴衣を直す手を止め立ち上がったハヤト君は、僕を木製の姿見の前へ立たせた。

 それはもうびっくりしたよ。
 何度も着てる見慣れた浴衣なのに、まるで初めて着た浴衣のようにピンと綺麗に張っていて…。姿見に映る自分の姿をまじまじと見つめる中、ハヤト君は僕の肩に軽く手を乗せた。

「そんなに良かったのなら、また来年も着付けてやるよ」
「えっ、いいの…!?」
「ああ約束だ」

 突然出来たハヤト君との2人の約束。
 それが嬉しくて、両手を上げて喜ぶ僕にハヤト君は微笑み返してくれた。その時の君の優しい顔が今でも忘れられないよ…。
 そんな夏の思い出は、今から丁度一年前くらいの出来事だったかな──…。



「行ってきまーす!」

 ヒワダジム内の練習試合を終えて、急いで帰ってきた僕はまたすぐに支度をして家を飛び出した。日が沈み始め段々と暗くなってきている…こうしちゃいられない。僕は急いで手持ちのポケモンに乗ってキキョウシティまで運んでもらった。

「…ふふっ」

 空を移動している間、口から堪えきれない笑みが何度も漏れる。
 そう、今日は待ちに待ったお祭りの日!そして、ハヤト君に着付けの約束をしてもらった大切な日。ああ、楽しみだなあ…!

ドンドンドン……

 日暮れのキキョウシティ。
 街を歩いていると遠くの方から太鼓の音が聞こえてきた。丁度お祭りが始まったのかな?浴衣を着た人達とすれ違うことも多くなってきた。僕は浴衣が入った手さげのバッグを抱え、急ぎ足でハヤト君家へ向かった。
確かここの角を曲がって、真っ直ぐ行った辺りに───

「ハヤト兄ちゃんはやくー!」

 小道を駆けて行くと、ハヤト君と数人の小さい子達の姿が見えてきた。なにをしてるんだろう…?そう思い、一瞬止めた足をまたゆっくり進ませると…

「こら動くとその分着付けが遅くなるぞ…!──ほら終わったから早くご両親のところへ行ってこいよ」
「ありがとー!」

 ハヤト君にお礼を言った男の子は、綺麗に着付けされた浴衣をまとい、カラカラと楽しげに下駄を鳴らして向こうの方へ駆けて行った。
 そうか、彼は街の子達の着付けもしてあげてるんだなあと、僕はすぐに理解した。

 その後、ハヤト君は手早くもう2人の子の着付けもこなしていく…。僕は少し遠くの方から様子を見ていることにした。
 途中ではしゃいだり、おふざけ話で笑う子達にタジタジになるハヤト君。着付け中のみんなのやりとりが…はは、なんだか面白くてつい笑ってしまう。楽しそうだなあ。

 …そっか。
 ……そうだよね…。

 ハヤト君は着付けがとても上手いから、そういう近所のお手伝いもしてるんだろうなって何となく気づいてたんだ。
 こうやって たわいのない話をして、優しく着付けして貰うことは別に…特別なんかじゃなかったんだって…。

 “僕だけ”
 そう思ってしまっていた僕がなんだかとても恥ずかしかった。

「ツクシ!」
「わ…!」

 自分の名前を呼ぶハヤト君の声に僕は慌てて前を向くと、着付けが終わったのか彼はひとりで僕の方へ向かって歩いて来た。

「そこにいたなら来てくれれば良かったじゃないか」
「あ…っ…!ごめん、忙しそうだったからジャマしちゃ悪いかなって…。あはは」
「そうか…。遅くなって悪いな、着付けよう。うち来いよ」

 複雑な気持ちを掻き消すように僕は下手な笑顔でやり過ごしてみる。でもそんなことは気にせず、ハヤト君はすぐさま家へ招き入れてくれた。

 木造の和風建築。ワビサビって言うのかな、ハヤト君家はそんな感じだ。畳のいい香りがして、いつ来てもやっぱり落ち着くお家だな…。
 玄関を上がって、廊下を進みながら会話を数回交わしたところで、僕らはあっという間にハヤト君の自室へ辿り着いた。部屋に入った僕は荷物を置き、私服を脱いで着付けてもらう準備をした。

「今年もありがとう、じゃあ 宜しくお願いします」
「ああ…じゃ、始めるぞ」

 着付けのお願いをした後、ハヤト君は早速背後から浴衣を僕に掛け袖を通し始めた。毎年着慣れているけど、この浴衣の色が好きなんだ。
 淡いモエギ色をした───…。

「えっ」

 僕は自分に掛けられた浴衣を二度見三度見した。だって…これはどう見ても僕が持ってきた浴衣じゃない。鮮やかな紅色だ。

「あの…これ、僕の浴衣じゃないよ!?」
「……そうだな…」

「…ハヤト君?」

 見覚えの無い浴衣に戸惑う僕に、ハヤト君は黙々と着付けを進めながらゆっくりと口を開いた。

「おまえさ…1着しか持ってないんだろ?浴衣。だからこの浴衣やるよ。古着で悪いが、まだ全然着れるはずだろうから」
「えっ、これ…君のっ!?」

 い、一体どういうこと…?
 とても驚く僕にハヤト君はフッと笑みを見せ、帯を一本引き出しから取りだして僕の着ている浴衣に合わせながら続きを話した。

「この前 服を整理していたら懐かしいものが出てきたんだ。この浴衣、おまえの背丈に合うんじゃないかと思ってさ」
「そ、そうだったん…だ…」

 しゅるしゅると、帯と浴衣が擦れる音が静かな和室に心地よく響く。
 …ハヤト君が着てた浴衣を、僕に…?

「……」

 ……ああ、ダメだ。とてつもなく嬉しい。
 もう、胸の音がどきどきと強く鳴り始めてしまって…どうか君には聞こえませんように、帯の音で掻き消してくれますようにって…僕は心の中でそう呟いた───…。

「よし、これでどうだ?」

 帯締めを終えたハヤト君は、すぐさま僕に姿見を見せてくれた。

「わあ…!」

 鏡に映る、紅色に染められた煌びやかな浴衣。僕はまた、あの時と同じようにじっと鏡と睨めっこをしてしまった。なんて綺麗な浴衣なんだろう。

「少し丈は長めだが、歩くのには問題なさそうだな」
「うんっ、全然大丈夫だよ。素敵な浴衣だね…!どうもありがとうハヤト君!」
「っ、あ、ああ」

 溢れるばかりの笑顔でハヤト君にお礼を伝えると、どこかちょっと照れくさそうに彼は応えてくれた。
 そして、僕は再び姿見を見返す…。それと同時に──

「…似合ってるぞ、ツクシ」
「…っ」

 姿見の奥で僕のことをとても優しく見つめてくれてるハヤト君と目があった瞬間、心がふんわりと暖かくなっていくのを感じた。
(そうだ…ハヤト君も、同じ気持ちなんだ…)

 ぎゅ…

「…なんだ、どうかしたか?」
「ううん…、なんでもない」

 僕は振り返って、ハヤト君の胸へ駆け寄った。少し不思議そうに首を傾げるハヤト君だったけど、クスッと笑って僕の頭にゆっくりと手を乗せてくれた。

 ドン…ドンドン…
 お祭の音色に混じって、花火の音が外から聞こえ始めている。
(早く行かないとお祭り、終わっちゃうな…)

 そんなことを考えながらも、僕は聞こえないフリをして…少しだけハヤト君の胸の中で、優しく頭を撫でられながらじっと目を瞑っていた──…。