▽おまえは、俺の…
「待て」
あと2.3時間で夜が来る。そんな陽が傾き始めた小道で俺達は立ち止まっていた。いや…俺が止めてしまったのか。
ツクシは目をまるくして向かいの俺を不思議そうに見つめる。
そんなおまえの華奢で小さな手首を、俺は強く掴んで離さないでいた──。
◇
「そうだ、来週またコガネの学者さんとね──」
最近、ツクシは別れ際に必ずその話題を入れてくる。何でも知人を通じて、虫ポケモンの研究者だか学者数人と知り合ったとか言っていたか…。
近頃ツクシはその人達と交わした話を楽しそうに俺に熱弁してくる。彼の表情からも見て取れるが、恐らく相当仲良くしてもらっているんだろう…。
へぇ、そうなのか。本来ならそう聞き流してやりたいものだ。
しかしツクシからその話題を数回振られた辺りで、俺はどこか引っかかる、そこはかとない違和感を感じ始めていた。
その話に出てくる研究員や学者達は30代から40代と大の大人らしく、ツクシとはかなりの年齢差もある。優しく教えてくれるのはごく当たり前の事なんだろうが…。
ただ、それは本当に素の優しさなのか?まさかとは思うが、何か裏でこいつの気を引こうとするような奴など紛れ込んでいないだろうか。
相手はツクシが追い続けている夢に携わる職に就いているんだ。こいつは疑わないどころか、寧ろ無防備で彼らに会いに行くのだろう。
それに付け込み、ツクシを利用するような奴は本当に誰一人いないんだろうな?
単なる憶測だというのに、気づけば顔も名前も知らない大人達を只々疑うばかりになってしまっていた。
いや、心配して何が悪い。普通の事だろう。
ツクシは年下の仲良い知人だからというのもあるが、それ以上に…あいつは俺と恋仲の関係でもあるのだから。
「そうか、頑張れよ」
だが、これはツクシの将来に関わる大切な機会だ。
こいつは普段から勤勉で、ヒワダのジムリーダーを背負いながら日々研究熱心に励んでいる。学者になりたいと言う夢を応援してやりたい気持ちだって大いにあるのも事実だ。
それに、今俺に向けてくれているその無垢な笑顔の前では…俺はただその一言しか出てこなかった──。
◇
練習試合後、ツクシとそんな話を交わし、今日もまた夕暮れ時を迎える。
いつも通りヒワダ方面へ向かうこいつを見送る為、俺は途中まで同行して小道を歩いていた。
──その時、
「ああっ!!!」
突然、静かな小道にすさまじい金切り声が鳴り響く。隣を見ると、青ざめたツクシが頭を抱えながら何やら慌てた様子でいた。
「そうだよ、僕なんで忘れちゃってたんだろう…っ」
なんだ?一体どうしたんだと、俺が口を挟む隙も無くツクシは続けて話し始めた。
「実はこの後、エンジュシティにいる学者さんの家におじゃまする予定だったんだ!今思い出せて良かったよ〜…!」
「……は?」
…聞き違いか?否、聞き違いであってくれ。
ツクシの口からなんて言葉が出てきたか、俺は頭の中を無理矢理にでも整理しようとするが…駄目だ。理解が追いつかない…。
「じゃあ僕行くね…!今日はありがとう、ハヤト君!」
そして考えている暇も無く、ツクシは元気に逆方向へと走り出そうとしていた。ああ、俺はまたいつも通りこいつに手でも振って送り出すのか?…俺は……。
「待て」
送り出せるワケがない。
俺はすぐさま振り向き、咄嗟にツクシの手首を掴んだ。
「やっぱり行くな」
「…ハヤト、君?」
ツクシは目をまるくして不思議そうに向かいの俺を見つめる。夕陽で照らされ煌めく彼の瞳が、より一層引き止める腕の力を強くさせる。
「そもそもだ、こんな日暮れに呼ぶなんておかしくないか?」
「!…それは…」
途中何か言いたそうな顔を見せるツクシだが、構わず無我夢中で俺の話を続けた。
「それに、おまえまだ未成年じゃないか。それなのにわざわざ離れた街に住む大人の家に一人で来させるのか?そんなことを聞いて心配しないワケ無いだろう!?」
おまえの事が心配だ。大事なんだ。俺は必死にツクシを引き止めるが…ああ本当に、相変わらず己の口の下手さに嫌気がさす。
「恋人」だからこんなにも必死こいておまえに言っているというのに。側から見たらこれでは…只の「保護者」じゃないか。
俺が虚しくも自分に突っ込みを入れているところで、ツクシは静かに口を開いた。
「…心配してくれてありがとう、ハヤト君」
説教染みた俺の言い分を聞き終えたツクシは、数秒の沈黙の後…、
もう一度俺に向かって、思いもよらないことを言い出した。
「…でも、今から行くところ…実は僕の親戚のお家だったりするんだよね」
「……え?」
◇
──数時間後の事。
月が上り始め、辺りはすっかり暗くなっていた…。俺はピジョットに乗り、そのままツクシをヒワダの町まで送ることにした。
結局のところ、ツクシが知り合った中の研究家"ご夫妻"は彼と遠い親戚に当たる人だったらしい。
ご夫妻方は俺まで自宅へ招き入れてくれ、暖かい食事まで頂いてしまい…その後も只々会話を楽しんだだけだった。次は手土産を持っていくとしよう…。
それにしてもだ、俺はこいつに一言言いたい事がある。
「…それならそうと最初から言ってくれ」
「ご、ごめん…僕も凄い慌ててたからさ…っ、ははは…」
安堵のため息を漏らす俺の後ろで、ツクシは頬を掻きながらぎこちない笑みを浮かべていた。
全く、誤魔化し笑いも良いところだ。そう続けて言い返したい気持ちだが、眉を顰め少々申し訳なさそうにする彼のその愛嬌ある表情には敵わず、俺は口を閉ざすことにした。
──吹き抜けて行く夜風がまた心地良い。
俺達は暫く静かに自然の音を聞きながら目的地へ向かっていた…そんな時、背後からまた、少し小声になったツクシの声が聞こえてきた。
「…ハヤト君、もしかしてずっと心配してくれてたの?」
「当たり前だろ」
ツクシは今気付いたかのように、当たり前のことを俺に聞く。言わずもがな即答だ。
俺が守ってやらなきゃならないんだ。おまえは大切な存在だから…おまえは──…
「おまえの事は、いつも…心配している」
おまえは俺の恋人なのだから。
…性に合わないそんな台詞は無論、俺の口から出る事は無かった。
少しぐらいは伝えられただろうに。こんな時でさえも何も言ってやれない自分に腹が立つ…俺は静かに歯を食いしばることしか出来なかった。
…だが、そんな俺の淡々とした言葉を聞いたツクシは、クスっとひとつ笑みを溢し、背後から俺に強く抱きついてきた。
「ふふっ…、もし本当に何かあったら、ハヤト君が守ってくれるから安心だねっ」
「っ…!」
突然の行動に、少々体勢が崩れる。姿勢を直しながら、俺は振り向きツクシを見た。
小柄な彼は、偶に照れ笑いをしながら…俺の体温を感じでいるかのように、安らかな表情で強く身体を当てていた。
ああ、今空を飛んでいなければ、俺は今すぐにでもこいつを強く抱きしめ返していただろう。そんな気持ちを抑え…、俺はツクシの頭をクシャクシャと撫で言葉を返した。
「出来れば、何も起きないで欲しいけどな…」
「はは、それもそうだね」
また言うまでのない俺の返答に、ツクシも再び笑って返す。
流石に俺もすっかり顔が緩み、笑みをツクシに向けていた。
そう、当たり前のことだ。
おまえは、俺の恋人なんだからな…。